小太郎庵ありき(すべての始まりは小太郎庵からだった…)
ボクと澁Cが、納得のいく〈メディア〉があっていいよね、と言い始めたのは、2023~24年あたりだったとおもう。
〈メディア〉という用語は漠然としている。
ボクらはいままで、ホームページ作りを二度しくじっている。
2013年と2022年。この二回については後ほど触れるが、今回三度目の正直なのだ。
ボクらがメディアというとき、漠然とイコールマスコミ全般であったり、昨今ではインターネットであったりSNSであったりしている。
ちょっと前まではホームページが新たなメディアだったりしたとおもう。
昨今アプリという用語ですらメディアの一部としておのれの手足のように扱っている。
そのようにして、メディア自体が刻々と変貌を遂げようとしていて、さらに極めて流動的な代物になっている。
メディアって何だろうか。様々な人たちと“対話”を交わしていると、その用語はとても便利かつ歪曲的に使用されているのが現状なのではないか。
ボクたちの脳内はいまとても忙しく動き回り意図せぬ変革を強要され、脳そのものが心臓の鼓動のように、グツグツブツブツと音をたてている。
下手をすると心臓よりも脳の方が肥大化し、マグマの沸々のように膨れては弾け、グッツグッツと日々そのマグマ的発作を余儀なくされ、
病的な誇大妄想の中で暮らし続けているのかもしれない。
そのような異次元への突入一歩手前で、喘ぎ少々病的な状態の中で、ボクらは自らの脳内的世界に根本的な基軸を与えねばならなくなっているとおもうのだ。
それは幻覚幻想の世界かもしれないが、しかし目前の現実世界への眼差しが、悲しいかな弱体化しているという背景もあるのだ。
目前の世界を決して見つめてはいないというその分だけ、遠くへのアプローチを、夢の中でのように次々に連写しているのかもしれない。
それは止まりそうもないが、2025年3月のこの時点において、〈メディア〉を捉えようとするとき、いま一度その輪郭を明確にしておきたい。
ところで、2025年2月6日~7日にかけて「手書きメッセージ」を二通作成した。
今のいま手を出したいこと、これからアプローチしたいことをあえて手書きで記してみた。プロットのような企画のようなものたちの集合体である。
頭の中にあるということではなく、いますぐとりかかれるテーマと資料群でもある。
いまボクはこの原稿を小太郎庵(福島県田村市滝根町)で書いている。いや打っている。
正確には二日間手書きで書き、きょう(2025年3月15日深夜)キーボードを叩いている。この小太郎庵(我がガラクタ居住地)からすべてが始まったのだ。
2018年4月勃発(設立)。丸7年たった。
当時ここは廃墟だった(いまも…)。そして廃墟に居住、そして7年たったのだ。デンキ、ミズ、ガス、なし。配偶者なし。
同居人、野良猫数匹、鼠十数匹、スズメバチおよそ200匹、モグラ1匹。原始オトコは悠久のときを生きていた…。
暖は借りた灯油ストーブでとり電気はもらった携帯用の小さな発電機でおこし水は小太郎庵を紹介してくれたMYの直売所から運んだ。
ポリタン20ℓ数個は重い…。発電機入手の前はダイソーで購入した乾電池式の小さなライト10個で夜を過ごした。
だが直売所で敢行していた弾き語りライブを小太郎庵でやろうとしたとき、発電機の不安定な電圧では機材(アンプ等)が破壊されると聞き、止むなく電気工事を。
縁もあり運も味方してステージを作ろうというあり得ない話になり幸い材木が庵内にころがっていたこともあり超低予算でちょっとしたライブホールができた!
名付けて“廃墟がライブハウス”そこから6年。生演奏ライブありきの小太郎庵がスタートする…。
〈メディア〉をいま一度捉えなおす。
メディアとボクらの関わりを再思考すると同時に、ボクらはこのサイトで何をしたがっているのか。なるべく具体的にピックアップしてみる。
すべては小太郎庵で日々なされていることばかりなのだ。まずはそれを強調しておく。その上で日々動いている事柄を記してみる。
再びMEDIA考
ガラクタのような小屋を日夜手作りし感じるままに表現したり漠然とした芸術的行為に埋没したり原始な状態の中で何かを思索したり、
思考したり僕たち生き物の根っこを掘り下げたり根拠を求めたりそんな場所の真っ只中で叫んだり葛藤したり眠ったり貪ったり喧嘩したり怒ったり…。
そして少しずつわずかでも半歩前に進みたがっているのが、小太郎庵の本髄、本質なんだとおもう。
ボクはこれが人間の本能なのではないかとおもっている。この自力あるいは地力その瞬間の力を生かさない手はないんだと。
歪んだ変なこともドデカイ夢とか希望とかも、死にそうにつぶされそうなメンタルも引き受けつつ、オレたち生き物、オスとしてメスとして本来あるべき姿、
本来持ち合わせているはずの血脈、身体の奥底に流れる小太郎庵下の水脈を感じながら、
あ!といえばもうその瞬間すでにアートなっていたり、
イッ!といえばすでにイラストレーションの真っ只中にいたり、
ウッ!といえばもUltra Negative制作の渦中にいたり、
エッ!っていえば閻魔大王やエジソンを超越していたり、
オッ!といえばオッサンきょうも元気かぁ?ともう俗世間のど真ん中いるのだ。
ボクたちはこうやっておバカになりつつも日々消沈するのではなく思い鎖を引き摺りつつも怖いものなんてなにもないぜヨ的に、
やんちゃに毎日アートに埋没しているのです。みなさん3月30~31日はご来光あれ。そして原始村から原始力を吸引せよ!
これらいくつかのテーマの如きブロック(プロット?)を複合的に拾っていくと、いくらかこれらの鈍くてのろい動きだけれどこれらをひとつの袋に封じ込めたとき、
その袋の中でバッタバッタともんどりうって揺れ動くカオスの坩堝、海老の踊り食いの如き、鰻の掴み取りの如き、
魚卵の掴みどりの如き、袋の中から飛び出しかねないそんな根源的な躍動感が、ボクらがこれから提示していく〈メディア〉という表出なのかもしれない。
メディアが☓ディア、メ痔ア、目出アだったりするときもあるが、それらの各部を生きるのに必須な養分としてとらえてほしい。そのひとつひとつが互いにシンクロし合って交差していくからCROSSという言葉が表出してきたのであって、クロス☓という用語でもよいのだが、いまはあえてこれはMEDIAなんだと言わせてほしい。オレたちのメディアを目差して。
このサイトを覗けばいま現在の世界と自分の根源が見えるようになるといい。
世界と自分との濃縮が手にとるように感じられ安心して生きていけるようなそんなサイトを目指そうか。以上。
われこそはメディアであるという託宣は、そう言った瞬時もはや血に染まっているのだ。
血だらけでメシを喰い血だらけで子育てをし血だらけで介護介助をし血だらけで対話し血だらけで歩きつづけている。
血に染まった血だらけのシンガーでありライターであり血だらけになったバッハなのかもしれないのだ、ボクたちは。
われわれが志向するメディアは宇宙空高く広大な領域へは向かわない。そんな白々した脳天気な時空を見詰めたり唾を飛ばしたりはしない。
足下だ、足元だ、地団太踏んでいるあんたの足の真裏の奥深くだ。ヘドロを突き抜けマグマに達しようとする直下型のメディアだ。
MEDIAが媒体とすればCROSSは歴史と現在の交差点。四つ辻の幽霊と柳、辻切りマサだ。まさにCROSSをボクらは息も絶え絶え生きている。
そしてそれが生命体としての刹那なのだ。いまのいましかないしいまの連続がボクら自身の細胞体の本質だし、
それは概念ではなく刻々と変貌を遂げようとする川の流れのように、今今今、
その今はとどまってはいない立脚点、揺れ動きつづける足場、不退転の大八車、それがCROSS。
クロスは風だ。クロスは死なない、媒介する役目は永久だから。
きっかけは仲立ちしようとするMEDIAの存在。表現する者とそれを覗き見しようとするお客の間に浮遊する交わりの美学。
性?性ではないもっと高級だ。ステージそのものがMEDIA。主役はどちらだ?
どっちだっていい、演奏者対聞き手、聞法の真髄もそこにある「我はこのように聞いた」のだと。