ごっそり出た
ゴール 2022.12.26
看護師さんやヘルパーさんに初めて介護拒否を示した夏を乗り切り、秋は落ち着いた暮らしができた。便の騒ぎも以前ほどではなくなった。おそらく、このまま3年はこんな感じで進み、5年後ぐらい、最終段階が見えてくるのかなと思っていた。
甘かった。季節が関係しているかどうかはわからないが、やはり冬は厳しさを伴うようだ。今日、歩行困難になった。思えば、初めて歩けなくなり転倒したのも、2年前のちょうど今頃だった。だが、今回は歩行困難に加え、ひとりで食事を摂ることも難しくなった。僕が口元まで運び、食べてもらった。僕にとって、初めての体験。
「食べさせた」という言い方はすべきではない。ここ、大事なポイント。言葉の使い方の問題ではあるが、実際のところ、「食べさせる」感覚だと、僕のペースになりがちで、ついつい口の中に詰め込んでしまう。あくまでも「食べてもらう」という感覚こそが必要だ。
今日だけのこと、一過性のことだといいのだが、それでも、明らかに歩行能力は落ちている(翌日、一応は歩けるようになったが、それでも歩行能力は落ち、食事のスピードも遅くなり、食べる量も減った)。
このまま歩けなくなると、どんな生活になるのだろうか。食事はベッドの上。僕が今日のように口元まで運び、週に数回、夜の食事はヘルパーさんにお願いすることになる。トイレにも行けなくなる。トレーニングパンツからテープ式に変え、朝昼は僕が交換。僕が仕事に行っている間は、やはりヘルパーさんに来てもらって換えてもらう。
入浴は、週に一度、機械式の専用車に来てもらい、それ以外の日は、身体を拭く程度。洗髪は、ドライシャンプーだろうか。
当然、僕の負担はより重くなる。だが、ゴールが見えてきたと思うのはどうだろう。ひどい、冷たいと思うのは介護を知らない人だろう。そうではない。ポジティブな考えだと思いたい。その上で、ゴールをイメージする。ファイト。
介護って、大変どころか、壮絶(言葉の使い方、違うかな。けど、ニュアンスが伝われば)。けど、それを当然のようにやっている人がいるという事実を、もっと知るべきだと思う。
可愛いおばあちゃん 2022.12.25
いつか話した施設の窓辺でまどろむおばあちゃん。今日、おばあちゃんの方から手を振ってくれた。その一瞬で僕の気もパ~っと晴れたりする。可愛いおばあちゃん。
僕は歯を食いしばっているらしい 2022.12.16
ダンプの運転手の若い兄ちゃんと、警備員のおじさんとが言い争っていた。
「こっちもストレス限界なんだよ」
兄ちゃんが大声を発していた。通り過ぎてしまったこともあり、そのままその場を離れたが、兄ちゃんにあんまり大声で怒鳴ると脳梗塞になるよと言ってあげたかった。
兄ちゃん、雇われ運転手なのか、一人親方なのかわからないが、安く使われているか、あるいは元請けから搾取されているのだろう。
警備員のおじさんも、つまらなく働いているんだろう。この年になってなぜまだアルバイトなんかで働かなきゃいけないんだ、他のみんなは優雅に年金暮らししてるっていうのに。そんな感じかな。
警備員のアルバイトで思い出すのが、一年位前、お世話になった訪問看護の看護師さん。30歳くらいの女の子。事業所を移ることになって、今日で最後なんですと挨拶してくれた。移るまでの間、ゆっくり休むのかと思ったら、警備員のアルバイトをするとのこと。別にお金に困っているわけではない。
「謙虚な気持ちを忘れないために」って言っていた。看護師の仕事をしている間も、たまに土日、警備員のアルバイトをしているらしい。元気にしてるかな。
交差点の手前、お年寄りの女性が、あれ、何て言うのかな。荷物車とでもいうか、ベビーカーみたいなやつに、買い物帰りの荷物をいっぱい載せて歩いていた。腰が曲がっていて、前を向けずに下を見ながら歩いている。
ちょこちょこ買い物に行くのはしんどいのだろう。一回にまとめ買いしているようだ。
「お母さん、ここから近いの?」
声をかけてみた。横断歩道を一緒に渡った後、僕は先に行った。お年寄りは声をかけられると嬉しいのだろう。気にかけてくれる、それが嬉しいのだと思う。別れ際の言葉は、もちろん、「またね」。
さて、僕はというと、歯が痛くて歯医者に行ったところ、虫歯ではなく、「食いしばり」だろうとのことだった。食いしばりの原因は、たいていストレスらしい。介護そのもののストレスというよりも、仕事上のストレスだと思う。
普段、ストレスが溜まるような仕事ぶりはしていないのだが、間接的に介護が関係していることには間違いないだろう。いかんせん、時間に追われる感覚が、僕をいらつかせる。奥歯の一本、神経を取ってしまっている。食いしばりが激しいと、その歯が割れてしまうそうだ。割れたらどうなるんだろう。さてさて。
一日の始まりは、脱糞からだった 2022.12.11
外に向かって吠えた。
こんな興奮の仕方、記憶にない。
頭の中、温泉が湧きあがっていた。
いや、こんな例えではない。
説明できないが、脳梗塞って、こんな感じで生じるのかなと思った。
一日の始まりは、脱糞からだった。
面倒くさい一日だった。
電車が人身事故で止まった。
以上、昨日の話。
今日の話。
近くに住む一人暮らしのお年寄りの家へ顔を出してきた。
介護が必要になった頃には、僕の親の介護は終わっているだろうから、
介護を担ってあげる約束をしてある。
すると、
「お兄さん、顔色悪いんじゃないの? 痩せた?」
と言われた。家へ帰って、鏡で自分の顔を見てみた。
いいのか悪いのか、よくわからなかった。どうなんだろう。
翌日の話
ちょっと急いでいて、ナスを切っていたら、ツルリと滑って指を切ってしまった。
どうして私だけが… 2022.12.8
昨夜、ちょっと寒気がして、寝込むことになるかと思ったが、大丈夫だった。夜の9時から仮眠して、2時間程したら起きて仕事をしようかと思ったが、1時頃に目を覚まし、結局そのまま寝てしまった。正確には、1時から1時間ほど、眠れなかった。よく寝たせいだろう。こんなこと、久しぶりだった。その間、考え事をしていた。「どうして私だけがこんな目に遭うの」と、親がブツブツ言う。思うように身体を動かすことができず、ベッドからもスクッと立ち上がれないことへの不満による。特に今の時期、掛布団があるため、それをどかして立ち上がることに難儀する。
僕はどう答えたらいいのか、わからないでいる。「仕方がない」、それで親が納得するはずもない。どう答えたらいいのか、どこに聞いてみたらいいのだろう。
仕事ですから 2022.11.28
昨日は10時間ほど寝た。といっても、3回ほど、親のトイレで目を覚ましているので、熟睡した感覚はそれほどはない。10時間も寝ると、つまりは寝坊。二度寝、三度寝すると、つい寝坊してしまう。結果、その後、時間に追われる始末。早起きできればいいが、それはそれで睡眠不足になり、何かしらの反動が来る。
校正を仕事としている人の本を読んでいる。まだ最初の十数ページしか読んではいないが、丁寧な仕事ぶりを意識させられる。
僕の介護。食事は、スーパーの総菜はたまにしか買わない。買う気がしない。よって、手作り。見てくれはともかく、手作りという意味においては、丁寧かもしれない。
けど、例えば今日の入浴(シャワー)。本人からも「乱暴」と言われた通り、けっして丁寧ではない。さっさと済ませようと思うと、乱暴になる。
介護関係者のお偉いさんが話すときの違和感。前にも話したことがあるかな。「プロに任せて欲しい」とは言うものの、現場レベルではそのプロフェッショナルさを感じられない。何をもってプロフェッショナルさを体現するのか、それはそれで難しいのであろうが、ひとつ例を挙げると、またうんこの話かとなるが、ヘルパーさんたち、人にもよりけりだが、積極的にうんこに触ろうとはしない。看護師さんは積極的だったりする。
かといって、現場に派遣されるヘルパーさんたちに不満があるわけではない。仕事、あるいはプロとして、「介護」を捉えるのは難しいのかな。人材不足なのは、単に給料が安いせいだけではない。
今度、看護師さんに聞いてみよう。もちろん、ビニールの手袋をするが、自分の親ならともかく、なぜ赤の他人のうんこを触れるんですかって?
いや、聞くだけヤボだ。彼女たちはおそらく、「仕事ですから」と答えるに違いない。
パンを買い忘れた 2022.11.23
ヘルパーさんの不思議。夕食後、食器を洗ってくれているヘルパーさんと、洗うことなく流しに置きっぱなしにしているヘルパーさんとがいる。この違いは何なのか。育ちなのか、性格なのか。もしかしたら、仕組み上、食器洗いはしてはいけないことになっているのかもしれないが。ちなみに、畳の上をスリッパで歩く僕が少し苦手としている女の子は、いつもきちんと洗ってくれている。
さて、とある書籍で、認知症は、自らに課した規範から解放される、つまりは自由になれるといったことが書かれていると話した。これは、伴走者たる僕にもあてはまる。もっと、ルーズになれたらと思う。でないと、いらつきが募る一方だ。
朝は決まってパンを食べる。そのパンを、昨日、買い忘れた。といっても、翌朝の分はあったので、たいした問題ではない。もちろん、別にパンでなくてもかまわない。にもかかわらず、「しまった」と、さすがにそこまではしなかったが、もう一度パンだけ買いに行こうかとも思った。ルーティーンが崩れることを嫌う僕がいる。
毎朝の日課は、トイレ、歯磨き、食事、服薬の介助。さらに血圧を測り、腰に注射を打つ(骨が弱くなることの予防)。ざっと1時間近く要する。その後、看護師さんの摘便や
理学療法士さんのリハビリ、ヘルパーさんの入浴(シャワー)介助などがある。
つまり、遅くても誰かが訪れる1時間前には起きなければならない。けど、寝坊が出来たらもっと楽だ。1日くらい、シャワーを浴びなくてもかまわない。後で僕がすればいいだけのこと。看護師さんも同じ。むしろ、看護師さんに起こしてもらう朝があってもいいかもしれない。
けど、ルーズになれない。そう教えられてきた。自分でもそう努めてきた。
今、死刑に関する本を読んでいるせいか、死刑制度の賛否の問題と、施設入居の是非の問題は、共通したものがあるような気がするが、どうだろうか。キーワードは、ゆるし(赦し)?
共通というか、死、暴力、権力、国家、司法などを伴うゆえ、多くのことの根本をなしているとも言えるかもしれない。
またね 2022.11.5
最近、すっかりいい人だ。僕。
地下鉄に乗っていて、お年寄り(お婆さん)とその娘さん、あるいはお嫁さんが乗って来た。少しばかり混んでいた車内。僕はドア付近の手すりももたれかかっていた。席は空いていなく、お婆さん、つかまるところがなく、僕が立っていた位置を代わってあげた。
お婆さんの方が先に降りることに。その際、ありがとうとお礼を言われたので、
「お母さん、気を付けてね。またね」
と、僕。すると、お婆さんも
「またね」
と、その「またね」が可愛かった。僕の「またね」の一言、気の利いた一言だったと思う。気の利いたことが言えるのって、いいね。
近頃、やたらと人に声をかけるようになった 2022.10.27
近頃、やたらと人に声をかけるようになった。昨日は、横断歩道のない踏切の前の道路、杖をついて渡ろうとしていたおばあさんに声をかけ、一緒に渡ってあげた。今日は、自転車に乗った男性のお年寄り。道に迷ったのか、あるいは認知症なのか、交差点で困った顔をしていたので、声をかけてみた。自分の家がわからないようだった。呆けているようには見えず、単に道に迷っただけかと思ったが、自宅の地番を手帳を見ながら教えてくれたので、もしかしたら、認知症なのかもしれない。僕に時間の余裕がなく、一緒に付いていくことまではしなかったが、方向だけ教えてあげた。
以前なら、大変だなとか、家族の人も困っているだろうなとか思ったものだが、その時は、そんなふうには思わなかった。別に道に迷ったくらい、たいしたことではない。なんともないさといった感じ。事故にさえ遭わずに無事、家へ帰れればそれでいい。子供が自転車に乗って、隣町まで行って迷ったようなもの。携帯がなくても、誰かが教えてあげれば帰れるはず。
さて、ウチの親。「生きている限り、(僕の)美味しいご飯が食べられる」だって。ヘルパーさんには、大学いももどきのレシピを聞かれた。ウチの親、3日連続で自力で大便が出せました。
ちょっといいことをした、のかも 2022.10.20
ちょっとだけいいことをした、のかもしれない。といっても、僕ではない。親の話。
その日、寝間着姿で散歩に出ていた。以前は、家のすぐ前に小さな公園があり、そこを歩いていたので、近所の知り合いと顔をあわすこともあるため、一応、着替えていた。けど、最近は、体力的に公園を歩くのは難しく、家の前までしか歩かなくなったということもあって、寝間着で出ることが多い。すると、
「頑張ってるのね。えらいわね」
自転車に乗った買い物帰りの知らないお年寄り(女性)が、わざわざ自転車から降りて、声をかけてくれた。寝間着姿だったせいか、痛々しく映ったのかもしれないが、オーバーに言うと、どうやら感動していた。親は、そのおばあちゃんに、「励まし」を与えたのではないかと思う。
「自分も頑張らなくては」
そう思ってくれたのだと思う。親にその話をすると、ちょっとは誇らしげに思ってもよさそうなものだが、よくはわからないようだった。
僕はというと、通りすがる際、お年寄りが気になって仕方がない。背中が曲がっていて、ほとんど真下しか見えていない状態で歩くおばあさん。大丈夫かなと。
夜の7時頃、混んでいるスーパーでセルフレジの使い方がわからずまごまごしているおばあさん。さすがに係員を呼んであげた。買い物かごには、お寿司のパック1つとカップヌードルが3個か4個。なにもこんな時間ではなく、もっとすいた昼間の時間に買いに来ればいいのにと思うが、もしかしたら割引になるのを待って買い物に来ているのかもしれない。カップヌードルも気になる。食事を作るのが難しいのかもしれない。あるいは、単にご主人のリクエストなのか。僕らだってたまに無性にインスタントラーメンが食べたくなる。
うちの親は、食事に関してはとりあえず幸せだと思う。今日の昼のメニュー。
・おでん(前の晩の残り)
・麻婆茄子(麻婆茄子の素は使っていない)
・さつまいも(メープルシロップをかけて大学いももどき)
土曜日、電車に乗った際の話。若いお父さんが奥さんが座った車椅子を押していた。奥さんの膝の上には小さな男の子。奥さんと子供は、どこかわわからないが、おそらくはJリーグのチームのユニフォームを着ていた。試合の応援に行くか、あるいか帰りだったのだろう。車椅子を押している人はえらいと思う。

ボタッ、ボトッ、ボットン 2022.10.13
うんこの話ばかりで恐縮です。
僕はこれからも、何度となくそう言わざるを得ないのだろう。
早朝、2度に渡って、普通の量が出たにもかかわらず、昼食後、30分ほどかけて、
ボタッ、ボトッ、ボットン。
僕が指でホジホジしながら、なんとかきばってもらったところ、小さなじゃがいもを3個ほど出してくれた。あまり無理しすぎると心臓に負担をかけてしまうのだが、出かかっているなら出さないわけにもいかない。
トイレが詰まりかけ、3回目にやっと流れた。これが80歳代後半の年寄りの量かと思うほどだった。あと5年は生きているに違いない。
家はいいですよね 2022.10.8
正しくは、「大動脈弁閉鎖不全症」らしい。特に進行しているわけでもなく、また、仮に進行したとしても手術は年齢的に難しいため、経過観察を続けている。話の流れで、
「お母様がお元気でいらっしゃるうちに、最期の看取りをどうされるか、ご兄弟を交えてご家族で話し合われておいたほうがいいと思います」
と、年配の女性の医師。延命治療的なことはどうするか。あるいは、言葉にこそすることはなかったが、施設入居の検討もした方がいいのではといったことだ。
もちろん、考えている。当初は、まずは2年、自宅での介護をやり続けようと決めていた。2年というのは、膝の骨がこれ以上弱くなるのを防ぐための注射を打てる期間が、一生の間で2年と決められていることによる(実際は、入院期間中は注射を打たなかったため、打ち終えるのに2年と少し要する)。その2年が、今年の年末で過ぎることになる。
兄弟を交えての話はありえない。介護を担っていないヤツに、話し合いの場に着く資格も権利もありはしない(いかなる理由があろうとも。気に食わないのは、やれることを自ら見出そうとしないこと)。僕が決める。この話は医師にはしなかったが、話せば、おそらくは言われることはないだろうが、
「それはお母様本意の考えではないですね」
と思われるかもしれない。それもわかっている。仕方がない。親には諦めてもらうしかない。でないと、僕が、本当に、壊れてしまう。
おそらくは、徐々に弱っていくにせよ、あと3年は大丈夫のような気がする。いや、もしかしたら、あと5年。
医者は、介護を担っている僕のことを気遣ってくれてのこと。だが、僕はどうやらタフなようだ。いかんせん、家事力が高い。医者に、僕の考えを話した。すると、
「家はいいですよね」
だったか、
「素敵なお家ですね」
みたいなことを言ってくれた。その先生、つい先頃、自分のお父さんを自宅で看取ったとのこと。最後まで、好きな物を食べて、好きなワインを飲んで、みたいな生活だったそうだ。入院するなりすれば、もっと詳しい症状がわかり、延命の可能性もあったかもしれないが、それは選ばなかったとのことだ。
「だって、先生、春には庭でうぐいすが鳴いて、一年中、何かしらの花が咲いているんですよ。僕も介護を初めて、始めて知ったんですよ。季節ごとに庭に何かしらの花が咲いているって」
それを受けて、「家はいいですよね」(あるいは「素敵なお家ですね」だったか)との言葉。
変なことを言うようにはなったのだが、暑い夏を終え、涼しくなったこともあり、前向きになっている。夏は行くのを嫌がったこともあるデーサービスも、近頃は行く気になっている。散歩も同様、最近は「歩く」気力が増している。
とはいえ、波がある。一人で過ごすのが不安なのだろう、僕に「(仕事から)早く帰ってきてよ」と、怒るように言うこともある。
寒さが本格的になれば、どうなるかはわからないのだが、それでも、冬を乗り越えれば、また春が来る。
ヘルパーさんを嫌がることもなくなった。同じように、ヘルパーさんが声をかけても熟睡しているのか目を覚まさなかったこともなくなった。あれは何だったんだろうと思う。僕が声をかけると、目を覚ます。あれも、ある意味、脳の正常な働きだったのだろうか。
家事力、高いですね 2022.10.4
その日の昼飯の献立(クリームシチュー、さつまいもを煮たもの、ごぼうサラダ、炊き込みご飯、前の日の残りの味噌汁)を見て、「家事力、高いですね」と、看護師さん。炊き込みご飯は市販の「素」を使ったが、それ以外は手作り。そうなんだよな、やれちゃうんだよな。
ちょっと前、その看護師さん、ちょっと元気がなさそうだった。
「どうしたん? もしかして、何か嫌なことでもあった?」
いや、そういうわけではなかった。一時期、親が彼女を拒むようなことがあり、そのため、興奮させないよう、わざとテンションを落として接していたとのこと。看護師さんもいろいろと気を遣うようだ。
この夏、なんとか乗り越えられた。声が弱々しくなった時は、この先どうかなと思ったが、最近は声に張りが戻ってきた。声は大事だ。
これを書いていて、今、知り合いからご機嫌伺いの電話がかかってきた。一回りほど(11歳)年上で、現役で仕事をしている。もちろん、嬉しい電話。自宅介護ではなく、施設入居であれば、特に用事がない限り、おそらく電話はかかってこなかっただろう。
逆に言えば、ポ~ンと電話をかけられるのが羨ましかったりする。僕は、「どう、元気。いや、何もないねんけど、ちょっと電話をしてみただけ」といったのが苦手だったりする。本当はかけたいにもかかわらず。
書きかけ。とりあえずここまで。
さて、あいかわらず、変なことを言う。最近、「ごろうちゃん」がどうのこうのとか。看護師さんに、
「ごろうちゃんって、稲垣吾郎かな」
とでも言ってみても、おそらくは、
「ファンだったんですか」
と、真面目な返ししかないだろう。
「いや、そこは、野口五郎とか、言って欲しかったねんけど」
そんな流れにはならない。看護師さん、いたって真面目。といっても、「野口五郎」と言ったところでおもしろくはない。「高見山大五郎」でどうだ。
それはともかく、どうも、「ごろうちゃん」とは子供の頃の田舎の幼馴染のような気もするが、定かではない。ただ、田舎(実家)の話はよく出てくる。人は老いると、いつの頃の話をしたくなるのだろうと思う次第。
年寄りと人権とさつまいも 2022.9.24
その日、朝から便が出そうで出ず、難儀していた。臨時で看護師さんに来てもらい、摘便してもらうことも考えたが、台風による大雨。さすがに気の毒に思い、また、昼過ぎには自力で出せるようになるだろうと思って、頼まずにいた。
が、昼を過ぎても、3時を過ぎても、夕方になっても出てこない。出るようになったのは、夜の9時過ぎになってからのこと。僕が少しずつ掻き出し、やがてぶっといのが出てきた。バナナうんちという言い方をすることがあるが、バナナどころか、ぶっといさつまいもが一本出てきた。
「年寄りでもこんなぶっといのが出るんだ」
そう思った。トイレも詰まりかけ、一回では流しきれなかった。
「年寄りでも」
と思ったのは、夕方、ある女の人(彼女は父親に続いて今は同居している母親の介護を担っている)と電話で話をした際、ある時、お父さんに、
「年寄りにも人権はある」
と言われたことがあるといった話をしていたからだ。僕は生前のお父さんを知っており、あの人だったら言いかねないなと思いつつ話を聞いていた。彼女いわく「私にとっては重い言葉でした」。何か、そう言いたくなるような出来事があったのだろう。
今日は台風ということもあり、一日中、家にいたのだが、何をしたわけでもないが疲れた(何をしたわけではないといっても、食事の準備、シャワーの介助、洗濯などをした。さすがにぶっといのが出た後のシャワーは、トイレでもおしりはもちろん拭いたが、タオルにもうんこが付いていたほどだった)。
ただ、不思議と満足感もある。何だろう、この満足感は。
とんちんかんなことを言うのが増えた。おそらくは、脳神経外科に連れて行った方がいいのだと思う。介護を始めた直後、連れて行った病院があり、MRI検査の記録が残っている。だが、面倒くさくもあり、また、僕自身、今では認知症を肯定的に捉えていることもあって、連れて行っていない。連れて行ったところで。どうこうなるわけでもないという思いもある。
興奮するようだと、安定剤の類の薬を処方した方がいいいとは言われているが、そういうわけではない。以前、毎朝8錠、夜は5錠だったか3錠だったか、薬を飲んでいた。本人も苦痛だったようで、今では朝3錠、夜1錠にしている。できれば増やしたくはない。
その日、僕は夜食にラーメンだけでは物足りず、チーズトーストも焼いて食べた。都合4食。僕に限っては、日々快便中。
フォークダンスとはわけが違う 2022.9.22
便秘で悩まされている。もちろん、僕ではなく、親の話。さすがに暑かったせいか、食事の量が減っていたところ、最近になって逆に増えだした。すると、便も多少は出やすくなったようだ。食欲の秋というのは、年を取ろうが、認知症になろうが、関係ないようだ。
先日は、夜中にお腹が空いたと言い出した。夜、食べていないわけではない。しっかりと食べたにもかかわらずだ。本人は、「まだご飯を食べていない。だからお腹が空いている」とのこと。
食事をしたことを忘れていて、食事をしていない、だからお腹が空いていると情報が脳に伝わるのか。あるいは、お腹が空いている、これは、食事をしていないせいだと情報が送られるのか。どちらも有り得ることなのだろう。僕らでも、夜中にお腹がすき、何か食べたくなることなどいくらでもある。
で、シンクロ。いくらシンクロしようと思っても、相手にその気がなければできやしない。先の食事でも、
「夜、食事はしっかり食べたし、今日はもう遅いから寝ようよ」
といったところで、
「私は何も食べていない。信じてくれないのね」
となる。似たような状況で、
「私が死んでもいいのね」
と、イジけることもある。
結局、僕は簡単な食事を作ることになる。僕でも、夜中にラーメンを作って食べることもあるので、僕が面倒くさがらずに作ればいいだけのことだが、この場合、何をもってシンクロというのか、どのようにシンクロさせればいいのか、難しい。フォークダンスとはわけが違う。
中島岳志の書評に関して 2022.9.18
いい書評だとおもう。直道との会話でこんなことをふたりで言ってたような気がするんだが。dejabuのような。勘違いかもしれないが。
視点が近いね。肉体の実感とか、内臓とか。僕らは脳に支配された世紀を生きている。合理性とか、自我とか、個人とか。すべて観念の所産。わかっててもどうにもならないくらい近代的自我を生きていてそれが自分自身なのだとおもっている。これをなんと言えばいいのか、近代の業か。
本来的には自分とは自分自身のことをいう。自身。我が身を御身と言ったりしてきた。欧米がアジアの片隅に入り込むまでは。たぶんね。
自由になりたいという観念が、こんな形で実現するとは、皮肉なもんだ。くよくよするな、悩むな、ということでしょうか。
新しい人間関係、いいね。2人で作るせかい。いいね。ガキの頃からそういうことをひどく求めていた自分をいま思い返しているところです。ほぼ無意識だけどずっとそうしてた気がするのだが。
親子のきずなを越えるということ。というか新しい関係に近接してるんだろうね。それを面倒だとね。母親は息子に新しい人間像をみてる。
ひとりの人生を絶対に否定的に捉えないということ。僕らは軟弱でひ弱なか細い生物の末裔、いやなれの果てになっているのです。
ここんとこホモサピエンスの本と生物学、解剖学の本なぞと戯れていてね。200万年前からの話。4億年の話。いろいろあっていまの僕らの肉体がいまここに存在していてどうしようもなく生きているってこと。人間というより生物として見ていくということ。生物の前は植物だということ。
最近出た本なのかわからんが、自分の認知症の母親と植物を同時に撮り続けた人の写真集があるみたい。おれたち人間は途方もない存在なんだろうな。
せめて人の臨終に立ち会えればよいなとおもう。そういう経験。できれば親の。母親の。せめてそこから現在を逆算できれば見るべきものもみえてくるかも。つい最近黒澤明の「赤ひげ」を観た。臨終を荘厳と表現してた。若い医者にそれを経験させようとするのだが。医者も看護師も介護士も観るといいね。最終的には何かのために死ねればいいね、僕たち。ぼくらの足下は死体が累々と。
2月に亡くなった竹本陽子さんは、その半年前あたりから、僕の顔をみると必ず、一緒に歌おうよ、きょうは歌わないの? とせがみはじめていたのだった。ぼくはそれが疎ましくていやだった。じつはそのとき彼女は歌に生きてたのだった。過去が現在になっていたのだ。とても悔やまれるのだがぼくは気づけないのだった。
亡くなる1,2週間前だったか、転院の手続きでご主人ともども面会に行ったのだが、ご主人のことは認識できないにもかかわらず、なぜか僕のことはわかったようだった。握手を求めてきたのだ。また歌えるとおもったのかどうか。ぼくはドギマギしていた。歌のことは想像できずにいた。恥ずかしいかぎりだ。
歌とはなにか。彼女の歌は自身の叫びだったのだとおもう。一緒に歌うことでそうなれたんだとおもう。雄叫びなんだと。おもう。
なだめたってだめさ(一部修正)2022.9.19
「シンクロと自由」、新聞の書評で見つけた書籍。まだ読んではいないが、興味深い。近頃の僕の介護、なだめることに苦心している。なかなか、なだめきれるわけでもなく、時にイラつく。
介護は、シンクロで成り立つものとすれば、僕の行為はなだめると言っても強制であり、そう思うと、自ずとなだめると言うよりも、シンクロを意識するようになった。だが、やはり限界がある。なぜか。「自由」と関連する。
子供の顔を忘れる、つまりは親であることから解放される。あるいは、時間がわからなくなる、つまりは時間から解放される。その先にあるのは自由、ということのようだ。人はこうあるべきだとの「規範」からも解放される。
子育てが「規範」を教えることだとすれば、その逆だ。一方で、僕自身は自身に課した「規範」から逃れられないでいる。「なだめる」行為は、僕自身の「規範」を押し付けているのであり、そこでは「シンクロ」は成り立たない。
なぜ、イラつくか。自分のルーティーンが崩れるからだ。僕が僕を縛っている。僕自身も解放されて初めて、シンクロするのだろう。解放された方が楽になる、そのはずなのに、なぜ、拒むのだろう。規範からの脱却、それが子育てを受けた、悪く言えば報復であり、あるいは、お礼なのかもしれない。親と子の関係の終着において。
なだめたってだめさ 2022.9.17
「シンクロと自由」、新聞の書評で見つけた書籍。まだ読んではいないが、興味深い。近頃の僕の介護、なだめることに苦心している。なかなか、なだめきれるわけでもなく、時にイラつく。
介護は、シンクロで成り立つものとすれば、僕の行為はなだめると言っても強制であり、そう思うと、自ずとなだめると言うよりも、シンクロを意識するようになった。だが、やはり限界がある。なぜか。「自由」と関連する。
子供の顔を忘れる、つまりは親であることから解放される。あるいは、時間がわからなくなる、つまりは時間から解放される。その先にあるのは自由、ということのようだ。人はこうあるべきだとの「規範」からも解放される。
子育てが「規範」を教えることだとすれば、その逆だ。一方で、僕自身は自身に課した「規範」から逃れられないでいる。「なだめる」行為は、僕自身の「規範」を押し付けているのであり、そこで「シンクロ」が成り立たないことが生じる。
なぜ、イラつくか。自分のルーティーンが崩れるからだ。僕が僕を縛っている。
ある五十歳代前半の女性。発達障害だと診断されている。介護ヘルパーの資格を持ち、従事したこともあるが、利用客から「担当を代えてほしい」との声が多かったこともあり、長くは続けられなかった。彼女は、決められたことをその通りやることはできるというか、得意だったりする。だが、その場の状況に応じて、臨機応変に対応することが苦手だった。結果、利用客から不評を買った。
正常な脳、病んでいない精神って、何だろうと思う。あるとしても、幅広い範囲のものだろう。狭義に捉えれば、誰もが正常な脳や、病んでいない精神など持ち合わせはいない。もっとズボラでいい、朝食を食べたい気分でなければ、別に食べなくてもいい。それを「良し」とできる人が、介護に向いているのかもしれない。一方で、それを「良し」とできる人は、社会的には「だめな人」の烙印を押されてしまう。
介護離職についても考えてみた。ほとんどの相談先で、あと数年後に定年退職を控えているなどの事情がなければ、「介護離職はしない方がいい」とアドバイスされるのが一般的だ。僕も仕事を辞めるつもりはない。
一方で、辞められる人に対しては、「なんだ、辞められるんだ」と思ってしまう。辞めてもいいんだなって思えることしかしていないんだなと。
ただ、面倒くさくなることがある。仕事を辞めれば、楽に介護ができるのではと錯覚してしまう。このあたり、仕事や組織の人間関係において、理解がどの程度あるかとも関連してくる。実際には、理解しているつもりでも理解できていない、そんなところで軋轢が生じる。僕自身、介護を担っている事実をもって甘えている一面も否めない。
自由。ああ、自由。なるほど、自由。
なんだか上手く書けていないので、そのうち書き直します。まずは走り書き。
瞬間的にせん妄のスイッチがオンになる 2022.8.23
瞬間的に、せん妄のスイッチがオンになる。せん妄の延長で、看護師さんやヘルパーさんに身体を触られるのを嫌がる。赤ん坊がグッと力を入れて肘を曲げたままにするのと同様、足の関節を曲げようとしない。おそらくは、不安から生じるもの。その不安の原因は、自身の身体の不調。ふらつきや、思うように動かせないことによるのだろう。
生きているのか、死んでいるのか。勝手に熟睡に陥ることもある。潔くあれと、僕が試される。そんな悪趣味にまだなんとか根負けしないでいられる日々。
退化や衰えではなく、脳が最終形に向かっているという言い方をしたい。梅シロップを去年から漬けているが、その梅の実のようなもの。しわくちゃになったところでそれを退化とか衰えとは言いやしない。
考えてみれば、僕らでも、身体をいじられるのを誰でもいいとは思いやしない。いよいよ「施設入居」を周囲から言われそうだ。だが、僕が側にいると、せん妄が解けたりする。施設に入居しようものならば、おそらくはせん妄はよりひどいものになるだろう。結局は、僕の気の持ちようの問題。今、親はいびきをかいて、ぐっすり眠っている。
今日の介護の長い一日 2022.8.1
先週、親の体調が不安定な時期があった。が、昨日は特に問題なく、食欲もあったようでスムーズに食事が済み、その後、シャワーも浴びた(僕が介助)。
今日は、歯医者の予定。朝8時起床。昨夜同様、朝食も順調な運び。薬を飲み、フォルティオ(骨粗しょう症を予防する注射)を打ち、トイレ介助を行った後に歯医者へ向かう。
歯医者に着くと、コロナに備えての体温のチェック。すると、38.4度。だが、外の気温が高かったせいと判断され、そのまま受診。帰りに再度体温を測ってみると、36.5度。特に問題なく、そのまま帰宅。
30分ほどして、訪問看護で横ちゃんがやって来た。再度、熱を測ると、37.4度。ちょっと微熱気味。時間をおいてもう一度測ってみるが、やはり37度。熟睡してしまっているのか、あるいは気を失っているのか、声をかけても反応が薄い。呼びかけても目を開けることなく、ときおり手をバタバタとさせ、何か訴えかけてくる。
看護ステーションの事務局に確認を取る横ちゃん。結果、かかりつけ医の受診を仰いだ方がいいとのこと。受診が可能かどうか、かかりつけの内科に電話をかけてみる。が、繋がらない。コロナの発熱外来で、回線がパンクしてしまっている。
ならば、直接行った方が早いと思い(自転車で5分ほど)、親をひとり残して、僕がクリニックへ向かった(横ちゃんは次の訪問先へ)。
発熱があるため、コロナの疑いもあるとのことで、検査をどうするかということになった。看護ステーションの方で可能か、不可能だったらクリニックで行うということに。その確認をするのに、20分ほど時間がかかった。結果、看護ステーションでは不可とわかり、夕方、直接クリニックへ行くことができればクリニックで受診、具合が悪く行かれないようであれば往診もできるとのことで、家へ帰った。
その帰り道(昼の12時過ぎ)、お年寄り(80歳代くらいの男性)が倒れていた。そのまま通り過ぎるわけにはいかず、声をかけてみた。通りがかりその1の人(男性)が、救急車を呼んでいた。が、呼び出し音は鳴っても、応答がないとのこと。コロナで救急車もパンクしてしまっている。
僕も、もしかしたら親が家で苦しんでいるかもしれない状況。だからといって、やはり無視はできない。代わりに110番へ電話をかけ、駆け付けてもらうよう手配した。
奥さん(やはりおそらくは80歳代)がいたが、老々介護。てきぱきと動けるわけではない。ご主人はアスファルトに座り込み、額からは出血をしている。その場にじっとしていては、熱中症になりかねないし、コンクリートもかなりの熱を持っている。
ちょうど倒れたところのはす向かいが外科クリニック。僕はそこのクリニックにいい印象を持っていないが(以前、話したことがあるかと思うが、車椅子でクリニックへ行った際、さっと事務の職員が駆け付けてきてくれるところもあれば、反対に入口で段差があろうと、そのまま知らんぷりをしている事務職員のところもあり、そのクリニックは後者)、そうは言っていられないので、診察時間を過ぎていてシャッターが閉まっていたが、ダメもとでインターフォンを押してみた。すると、院長は往診中で、対応できないとのこと。いや、診察をお願いしているわけではない。ちょっと手助けをお願いできないかということ。事務の職員さんか看護師さんだったかはわからないが、医療関係者としてその態度でいいのかと思うが、面倒なので、話を終えた。
次に、倒れ込んだところのすぐ後ろに歯医者がある。そこのドアを開けた。すると、やはり診察時間を終えていたが、助手の女性がすぐに院長を呼んでくれた。その院長は、快く出てきてくれて対応してくれた。
まずはそのお年寄りを運んで、救急車も呼んでくれた。僕は親のことも気になるので、歯医者の院長に任せて家へ帰った。熱を出して苦しんでいないか。だが、その心配は無用だった。熱もすっかり下がり、昼食を食べる元気もあるという。
昼を用意し、食べてもらっている間に、僕は再び現地へ。すると、救急車はまだだったが、消防隊員とおまわりさんが対応してくれていた(通りがかりその1の人もういなかった)。が、なんだ、このおまわり。訓練されていないのか、気が利かなすぎるのか。
そのお年寄り夫婦、コロナワクチンを打ちに行く途中での出来事だった。僕がおまわりに「××診療所というところらしいから、代わりに電話を入れておいてあげて」と頼んだが、聞いているのか聞いていないのか、はっきりしない感じ。再度念を押したが、人の話を聞いているのかよくわからない。さらに、奥さんの方は、杖を持ちながらずっと立ちっぱなし。いや、ちょっとは気を利かせろよと。僕が歯科クリニックの院長に声をかけて、待合室のソファを貸してもらった。
僕はそこで切り上げ、家へ急いで戻る。僕は、今日、どうしても済ませておきたい手続きがあった。親をベッドに寝かせつけ、仕事へ行っても大丈夫そうだったため、支度をして家を出た。昼食は抜いた。一昨日の土曜日も昼食は食べられなかったっけ。
大塚で仕事を済ませ、その帰り道、高田馬場で先週、食事をご馳走になった(毎年この時期、舞鶴から送られてきた煮干しとお中元を持って挨拶に行っている)社労士の年配の先生と偶然出くわした。先生は西武線の特急に乗るところ。なんでも病院から呼び出しがあったとのこと。実は先週から母親が入院している。
「急な呼び出しなので、覚悟している」
とのこと。90歳代後半のお母さま。普段は先生の奥様が介護している。
さて、僕はお客さんのところへ。書類を手渡し、すぐに帰る予定だったが、スタッフのひとりの娘さんがずっと家で療養しているとのこと。精神の病。年金の話などもしてきて、思ったより長居してしまった。別件で障害年金の手続きの案件を請け負っている。精神の場合、話がちょっと重かったりすることもある。
駅まで小走りで向かい、電車にも飛び乗る。家へ着いたのは夕方の6時10分前。昼間、話をしておいたクリニックの受付時間は6時まで。行く場合、ギリギリの時間だ。が、熱もなく、どうやら特に急いで診察を受ける必要もなさそうだった。僕だけがクリニックへ行き、状況を話し、もしも明日、明後日、具合が悪いようであれば本人を連れてきますと告げ、家へ帰った。
急いで家へ帰ったため、夕食の買い物ができていない。買い物へ出かけ、家へ帰って夕食の準備。食欲はいつもの7、8割程度だったが、とりあえず、元気そうだ。その後、いつものように僕は洗い物や洗濯、その他細々としたことを済ませ、シャワーを浴び終えるなどしたら夜の10時を過ぎていた。やっと一息つける。今日はいつもより少し早い方だろう。普段、自分の時間が持てるのは、早くて10時30分頃、場合によっては11時頃だ。
今日の発熱は何だったのか。一時間程度で下がっているのであれば、おそらくはコロナではないとのこと。熱中症だったのか。ただ、親の体調は不安定なことに加え、親がちょっとヘルパーさんに不信感を持っていることもあり、明日の入浴(シャワー)介助と夕方の食事の介助はキャンセルした。キャンセルしたということは、つまりは僕がやるということ。体重計に乗ってみた。2キロほど減っていた。今日の就寝予定2時過ぎ。
(見直していないので、雑な文章です)
その日の会話。
「今日、夕方、ヘルパーさん見えるから」
「ヘルパーさんって、誰?」
「×××さん」
「×××さんって、あの意地悪な人?」
正直だ。僕もちょっと苦手だったりする。スリッパを履いたまま、畳の上を歩く彼女が。(2022.7.31)
「子が親の面倒を看るのは義務」
そう言われた。はたして、そうだろうか。勝手なこと言うなよと思う。
勝手なことを言う人とは、距離を取るとする。それが積み重なると、僕は孤立化する。孤立化に負けそうになると、よからぬことを考える。殺してしまおうか、あるいは、心中しようか。その気持ち、わからないでもない。
新聞での記事。介護業界のお偉いさんか、あるいは団体の役員さんだったか覚えてはいないが、
「認知症の人に対しては、それなりの訓練を受けた人でないと対応できない」
そのようなことを言っていた。介護職のなり手を増やすにはどうしたらいいかといった問題に付随してのことだったように思う。だが、そこには大きなズレがある。現実、「それなりの訓練を受けた人」など、そういやしない。いや、単に「それなりの訓練」を受けた人はある程度はいるのだろうが、「プロ」と思える人が派遣されることは、僕の家のケースでは今のところないと言い切ってもいい(ただし、「性格のいいヘルパーさん」はやって来ることがある)。
一昨日と先日、親がヘルパーさんに対し拒否を起こした。一昨日は、入浴(シャワー浴)介助。
(身体に)「触らないで」
と、興奮した口調で拒絶した。週2日の入浴介助をヘルパーさんにお願いするようになって1年以上、初めてのことだった。翌日は、夕食の介助。これもまた、1年以上お願いしているが、初めての拒否だった。
夕食の介助は無理だと判断して、その日、ヘルパーさんは、
「今日はこのまま失礼します」
と、帰って行った(僕とはスマホとテレビ電話で連絡を取り合っていた)。実際には、それほど不愛想な対応ではなかったが、僕としては、
「いや、もうちょっと、なんとか対応してくれ」
そんな思いだった。僕は仕事を切り上げ、帰らざるを得なかった。ヘルパーさんは15分ほどの滞在だったが、おそらくは予定通り、1時間分の費用を請求してくるのだろう。試されるのはコミュニティ能力。「それなりの訓練」ではなかなか身に付くものではないのかもしれない。脳神経学的には「拒否行動」は何を原因として起こると考えられているのか、興味深いところではある。
あるいは、摘便。入浴介助の前に、トイレを済ます。その際、排便がないとわかると、「よかった」と、ヘルパーさんはちょっと喜んだりする。当然だろう、誰も好んで年寄りの尻など拭きたくはない。
だが、看護師さんは少々違う。その日、自力で排便ができ、おそらくは摘便の必要がないと思える時でも、「残便」というか、出し切れていない便がないかどうか、積極的に確認してくれる。
こんなこともあった。便が柔らかいと、摘便しにくいようで、ある看護婦さん、時間もたっぷりかけて格闘してくれたが、どうにも奥の方に柔らかい便が残ってしまっている。すると、
「私ではちょっと無理なので、ベテランの看護師の応援をお願いしてもいいですか」
と、急遽、別の看護師さんを呼んでくれた。一応、1時間の設定だが、1時間をオーバーしようが、あまり気にしない。それよりも、目の前の患者さんに対し、やるべきことをやり終えるまでが「時間」と考えているかのように。当然、次の訪問先には遅れて迷惑をかけることになるが、「次」よりも「今」だ。ほおっておけない「今」があれば、なおさらのことなのかもしれない。(2022.7.22)
追記
怒りと憎しみ、似ているとも思う。あるいは、憎しみが怒りから派生することもあるだろう。その憎しみ、持つことはよくないとおそらくは誰もが言う。けど、許される怒りがあれば、許される憎しみもあると僕が言ったとしたら、甘えるつもりはないが、そんなことはないと、優しく説いてくれるのは誰だろう。(2022.7.24)
追記2
殺人は手段か目的か。憎しみを表現する手段だとしたら、その選択は間違っているだろう。だが、その選択に至った原因や過程の考察はあって然るべきだろうし、実際、とりわけ介護に関連した場合、どのように検証されているのだろう。僕はそれを身をもって考察しているのかもしれない。(2022.7.26)
脳梗塞と認知症って、現象としては似てる?
認知症は、その名の通り、認知力が衰える幅広い範囲での症状。認知症の原因のひとつとして最も多いのがアルツハイマー。アルツハイマーは脳の中のタンパク質の異常。他に、脳の血管が詰まって脳梗塞になった結果、認知症になった、あるいは認知症が進んだということもある。あくまでも僕の認識だけど。
こういうケースが周辺で起こりつつある。
自分はどうなんだ?と思ったりもする。
脳梗塞にも程度があって、自覚症状のない脳梗塞もけっこうあったりする。
ウ~ム。
医者にどうしたらいいですかって聞いたら、水分を多く摂って下さいって答えが返ってくる。僕だったらどう答えるか。その日、今日はいいことがあったなと、幸せな寝顔で寝られる日常を過ごして下さいとか、あるいは、誰かと一緒に暮らすのって、意外と大事なんです、って感じかな。介護はもちろんいろいろあるけれど、その日の最後、親が幸せそうな寝顔で寝ているのを見た日は、なんだか許せてしまう。
エラいと思うキミは。
ここ暑いので、毎日熱中症にかかっているのかもしれない、僕。
僕は、実は介護鬱になっているのではないかと思う。後で文章アップします。(2022.7.2 LINE)
朝、病院で検査。親ではなく、僕の検査。
甲状腺に腫瘍があり、経過観察。年に一度、検査を受けている。喉に温かいゼリーを塗られ、ローラーが這う。ふと、思った。
「こんなところで死にたくない」
数日前、昔の同級生が亡くなったと知らされた。持病があり、入院。そのまま病院で死んだ。それを思い出したせいかもしれない。
会計を待っている間、ひとりの年老いた女性がキャリーケースを引きずり、担当の職員によって入院のため病室へと案内されていた。付き添いの人はいなかった。僕の親も去年、この病院で二度ほど入院している。僕が付き添ったが、付き添う人のいない人は、やはり寂しいものだろうと思ったりする。
先週末、時々ご機嫌伺いの電話をかけている高齢の女性がふと漏らした。
「連れ合いがいないというのは、やはり寂しいものですね」
ご主人を二年ほど前に亡くしている。
多くの人が、病院で死んでいる。
「病院なんかで死にたくない」
もっと、そう言えばいいと思う。僕の親は、五年後あたりに老衰か、あるいは、朝、突然死んでいた、といった最期を迎えるのでないかと思っている。
昔、マンションに住んでいた頃、階上の一人暮らしの高齢者の女性の部屋のゴミ出しを代わりにしてあげていた時期があった。マンションの隣に弟夫婦が住んでおり、その弟さんが半分同居し、面倒を見ていた。弟さん本人も高齢、奥さんはパーキンソン病で入退院を繰り返し、あるいはショートスティを利用し、自宅へ帰って来られるのは月数日だった。
ある朝早く、女性から電話がかかってきた。目を覚ましたら、弟が冷たくなっていると。急いで部屋へ駆けつけ、救急車を呼んだが、明らかに既に亡くなっていた。救急隊員の指示で心臓マッサージを行っていたが、無駄だろうと思いながら行っていたのを覚えている。
僕の親も、そんな感じで亡くなるのかなと思うことがある。
さて、介護鬱といった言葉がある。僕自身、鬱病になったことはないつもりだが、もしかしたら、既になっているのかもしれないと思ったりもする。一応、組織に属していて、ある役を担っているわけだが、先日、会の部会を二度続けて欠席というか、さぼってしまった。昼間、仕事ができる時間は、一日実質的にはわずか三、四時間程度、その部会に出席したら、その日はもう他に仕事はできなくなってしまう。あるいは、ヘルパーさんに臨時でお願いをしなければならない。その調整が面倒だった。
それだけなら、ただそれだけのことにすぎない。けど、ある一人の女性が、僕に期待をしていた。組織に風向きが変わるのではないかと。
その期待に応えられなかったことについて、「どうしたんだ、自分」と思ってしまっている。
翌日(土曜日、訪問看護などはお休み)
朝8時30分起床。
朝食の用意、薬の確認(朝1錠、夜は3錠。以前は夜、8錠だったが、5錠に減り、先日からさらに3錠に減らした)、洗濯(シーツも洗った)、脈拍測定、注射(毎朝、フォルティオという注射を親に打っている)、散歩の付き添い、歯磨きの介助、三度のおしり拭き(うんこが三回出た。一度にしてくれと言ったが、無理だと言われた)。さらに、親の寝間着のズボンのゴム交換。ブレーカーの耐震工事の立ち会いや、宅配便の受取り(二度)もあった。あっという間に11時30分、昼飯の準備。今日の夜は入浴介助の予定(週二度はヘルパーさんにシャワー浴をお願いしているが、週に一度は僕がバスタブへの入浴を手伝っている)。
なんとなしに書き出してみたのだが、「こんなにもやっている感」をわかってもらおうとしているのだとしたら、それも嫌だな。みっともない。
意外とみんな、僕の話を聞いてくれない。僕が話そうとしないからだろうか。十日ほど前、ある人と会食をしていた。一回り近く年上の人だ。僕はほぼ聞き役だった。僕に話そうとするのは、僕なら何か意見を言ってくれるだろうと思ってのこと。食事代はその人が持ってくれたから、まぁ、そういうことだろう。意見を言ってくれるから食事に誘うし、ご馳走もしてくれる。
会食にあたって、僕は介護について、どんなふうに話そうかと考えながら、待ち合わせ先へ向かう電車に乗っていた。なぜ僕は、自宅での介護を行っているか。その人は、僕の事情も知っている。とにかく介護は大変だと、アピールするのは嫌だった。アピールされた方はどうしようもない。かといって、なんともないと言えるだけの余裕もない(なんともないわけがない。これを書いている今しがたも、トイレの床をおしっこで濡らしていた)。
結局、会食を終えて別れ際、僕は一言二言、何か言っただけだった。何を言ったか、正確には覚えていない。酒も入っていたし。おそらく、「いい経験させてもらっています」とか、「やっぱり介護はやらなきゃだめだと思います」みたいなことだったと思う。
介護って、どんなふうに語られているのだろうかと思ったりする。「育児・介護休業法」といった法律がある。一般的に法律は、その第一条に目的が掲げられている(目的条文)。育児介護休業法の場合、下記の通りだ(法律より抜粋)。
「この法律は、育児休業及び介護休業に関する制度並びに子の看護休暇及び介護休暇に関する制度を設けるとともに、子の養育及び家族の介護を容易にするため所定労働時間等に関し事業主が講ずべき措置を定めるほか、子の養育又は家族の介護を行う労働者等に対する支援措置を講ずること等により、子の養育又は家族の介護を行う労働者等の雇用の継続及び再就職の促進を図り、もってこれらの者の職業生活と家庭生活との両立に寄与することを通じて、これらの者の福祉の増進を図り、あわせて経済及び社会の発展に資することを目的とする」
育児と介護、切り離した方がいいと思う。育児休業は、その間、育児に専念し、しっかりと育児をしてくれといった意味合いだが、介護休業は、今後も仕事を続けたいのなら、通算93日の間に介護保険の手続きの他、場合によっては施設入所の手配をしてくれといった意味合いだ。
介護は子供の未来を奪うって、誰かが言っていたか、書いていた。そのまま素直には受け取れない。確かにその一面はあるとは思うが、介護を受けている人へのデリカシーに欠けてやいやしないか。
とりあえず、羊羹(貰い物)を食べようか。いや、眠い。もう寝てしまおうか。明日も暑い。鬱病より熱中症か。(2022.7.2)