ChoKuDo 2023

 

別名、くた助。くたくたなもんで。
今年も介護はやっぱりうんことの戦いなんです。

本当のことを教えてよ、アレクサ 2023.3.8
 
 午前中、メールでの納品を終え、他に抱えているものもなく、雑用も特にない。時間に追われることもなく、こんな余裕ある気持ちでいられるのはひさしぶりのこと。少なくとも、今年初めてのような気もする。週に一度、いや、月に一度でもいい、こんな状態でいられればいいのだが、もちろん、そんなわけにはいかない。
 
 みんな、一生懸命生きている。そう感じた午前中のある風景。
 
 近所のある家。いずれも五十歳代の姉と弟がふたりで暮らしている。十年ほど前までは、母親も一緒だったが、親と子供の折り合いが悪く、結果、親は施設に追いやられたとの話を耳にしていた。けっして小さな家でもない。
 今日、その親がキャリーケースを転がし、杖を付いてその家の玄関から出てきたところに出くわした。子供の見送りもなく、ひとりで。
おそらく、荷物を取りに来たのだろう。ひとりで帰るということは、認知症がひどいわけでもなく、また、電車やバスに乗れるほどには元気に違いない。自分の家だから、子供に明け渡すことはないのだが、事情があるのだろう。
 
 もちろん、これらはあくまでも僕の推測にすぎない話。そのお母さん、一生懸命生きているような表情だった。もしかしたら、歯をくいしばっているのかもしれない。ただ、できれば見たくはなかった光景でもあった。
 
 さて、僕の方の親。寝起きに「本当のことを教えてよ」と、言うことがある。変な夢でも見たのだろうと思っていたが、今日はデイサービスに行った日。おそらく、デイサービスの職員さんをはじめ、まわりから「ごまかされている」と感じることがあるのだろう。適当に話を合わさなければいけない一方で、本人はおそらくそれを見抜いている。ただ、信用している人の言葉は信用する。介護従事者の限界なのか、それとも未熟なのか。プロではないってことだと思うんだよな。どうだろう、僕は厳しいことを言っているのだろうか。
 介護団体のお偉いさんが「我々はプロですから」とよく話す言葉が、僕にはどうにも引っかかるわけだ。軽々しくプロとは言ってはいけない。考えてみれば、当たり前のことだが。


声を出しても大丈夫 2023.3.5
 
 二週間ほど前から、話しかけても、時々声を発しないときがある。頷くなり首を振るなりするので、無視しているわけではない。声を発するという信号が脳に行っていないような感じだ。おそらくは脳梗塞の後遺症か、あるいは認知症のひとつの症状だと思う。
 ただ、最近は、「声を出しても大丈夫」と、声をかけると、「そうなの? 大丈夫なの?」といった反応が返ってくることもある。その後は普通に会話する。もしかしたら、「声を出したらだめだ」という思い込みがあるのかもしれない。どうなんだろう、謎。


私、力持ちなんです 2023.1.23
僕は今、笑いたい 2023.1.24
 
 先週火曜日、天井がグルグル回った。めまい。初めてのことではないが、あれ、けっこうこわい。それに伴ってのせいか、胃の調子が悪い。続いて翌日水曜日の夜、大袈裟に言えば、過労でダウンした。親の食事を終え、トイレ、歯磨きの介助などを済ませ、親が寝た後、まだ9時頃だったが、僕もそのまま寝てしまった。それでも12時頃起きて、残したままになっていた台所の洗い物を済ませ、米をとぎ、軽くシャワーを浴びるなどしてから2時間ほど仕事をした。
 木曜日の朝、ヘルパーさんが来たが、親がお風呂(シャワー)を嫌がった。ふるえが止まらず、入りたくないという。その後、熟睡したかのように、声をかけても反応しない。なんとか反応したかと思っても、ただ首を横に振るだけ。ヘルパーさんにはそのまま帰ってもらい、しばらく様子を見ることにした。歯をガタガタさせ、足をぴょこぴょこさせていた。このままふるえがひどくなり、声をかけても反応がないようであれば、救急車を呼ぶことも考えた。一応、看護ステーションにも電話を入れ、場合によっては緊急で来てもらいたい旨、伝えておいた。
 このまま死んでしまうのかと思ったりもしたが、30分ほどして声をかけてみると、なんともなかった。シャワーも僕が入れるからといって勧めると、何事もなかったかのようにシャワーを浴びてくれた。
 
 土曜日、親の健康診断。去年は、検尿を看護師さんにやってもらった。今年もお願いしてやってもらいかけたが、
「今年は無理です。自信ありません」
 とのこと。60歳くらいの年配の女性の看護師さん。去年よりも親の身体の動きが悪くなっていて、支えきれないようだった。
「僕がトイレの中まで付き添って座ってもらいますので、その後、お願いします」
 と、僕。すると、事務の女の人が、さっとやって来て、手伝ってくれた。
 家のトイレと違い、手すりの位置などがよくわからず戸惑っていた親に、
「私につかまって下さい。私、力持ちなんです」
 と、その女性。彼女は親の看護、介護関係者の中で僕のお気に入りのひとり。もちろん、力持ちには見えない。むしろ華奢なほうだ。30歳代後半くらいかな。「私、力持ちなんです」、その何気ない一言、よかったな。
 その後、問診。木曜日の朝の件を話すと、まぶたを開けて目の動きを確認して欲しいとのこと。急な動きを見せているようだと、てんかん発作を起こしている可能性があるため、迷わず救急車を呼んでくれとのことだった。脳梗塞の後遺症として、てんかん発作を起こすことがあるらしい。木曜日のヘルパーさんが、僕も苦手とする女の子だったので、拒否反応の一環の可能性もあると思い、慌てることはなかったのだが、もしかしたら軽いてんかん発作を起こしていたのかもしれない。
 
 翌週月曜日。内科から電話がかかってきた。健康診断での大腸がん検査の結果、陽性反応が出たので、説明を聞きに来て欲しいとのことだった。去年も陽性だった。精密検査を受けるかどうかの話になったところ、親の身体の負担を考え(腸を空にする必要があり、下剤を飲んだりするのがけっこう辛いらしい)、また、仮に大腸がんが発覚したとしても、年齢的に手術は難しいだろうとの話もあって、受けるのは止めていた。今年もおそらく、精密検査を受けるかどうかの話だろう。やめておく予定。
 
 翌日火曜日。この日は珍しく、いつもより早く仕事に行けそうな具合に順調に進んでいたが、そんなはずはなかった。僕が出かける直前に大便の確認をしたところ、明らかに硬そうな便が出かかっている。僕がいない間、ひとりで出すと、またとんでもないことになる。かといって、僕が無理に出すのは止めている。以前、腸を傷づけたのか、出血させてしまったことがあり、それ以来、僕が肛門に指先を入れるのは控えている。
 摘便は、医療行為。ヘルパーさんが行うこともできない。急遽、臨時で看護婦さんに来てもらうことにした。けっこうな量の便を取り出してくれた。1時間ほど遅刻かなと思っていたのだが、これもまた甘かった。量が多かったせいで、トイレットペーパーを多く使ってしまったようだ。結果、トイレが詰まった。
 看護師さんに帰ってもらった後、シュポシュポを使って格闘。けど、けど、どうにも詰まりがなおらない。それどころか、下手にいじってしまったせいか、水が引かなくなってしまった。
 いや、水ならまだいい。いかんせん、大量の便が水に溶け込み、まっ茶色な汚水となってしまっている。シュポシュポする度に床にはね、服にも飛び散る。これに比べたら、固形物としてのウンコの処理の方がまだましだ。
 今まで、シュポシュポを使って詰まりを直したことは数回ある。だが、今回ばかりはうまくいかない。知り合いの業者さんに場合によっては来てもらえるか、聞いてみた。すると、現場の仕事を終えるのが5時頃で、その後、寄れるという。5時までに直らなかったら、来てほしいとお願いしておいた。
 他の業者さんにも、コツを聞いてみた。すると、
「あれって、心が折れそうになったぐらいのところで、うまくいったりするんですよね」
 いや、もう十分、折れている。2時間半ほど経過。結局、業者さんに帰りに寄ってもらうことにした。
 
 業者さんも難儀した。おそらくは、パイプの奥の方で詰まりが生じているだろうとのこと。だが、水道屋さんではないので、専門道具は持ち合わせていない。そこで太めの電線コードを使い、奥の方を掻き出してみた。それでもうまくいかない。今度はマンホールの方から攻めてみた。少しは水の通りがよくなったのか、ようやくシュポシュポがはまったのか、その瞬間、一気に水が引いて行った。ある意味、感動。
 
 その間、今日はヘルパーさんに夕食の介助をお願いしていたので、親の食事はヘルパーさんが介助してくれた。業者さんはそこまで。この後、僕はトイレの床や便器の掃除。シュポシュポも洗った。念入りに掃除しないと気が済まなかった。トイレのスリッパも洗った。なんだかんだで2時間。
 次に、それまで着ていた服の全てを洗濯した。出かける直前の服装から、汚れてもいい部屋着に着替えて格闘していたのだが、その両方ともを洗うことにした。結局、洗濯機は3回回した。その間、入浴。そして、ようやく、僕自身の晩飯。やっと落ち着いたのは、夜中の11時頃。この日は仕事どころではなかった。
 
 誰かを責められるのなら、まだ楽かもしれない。けど、看護師さんを責めるわけにはいかない。仮に介護経験者に話したら、
「介護を終えて、『あんなこともあったよね』」と、笑っていられればいいよね」
 そんな話になるのかもしれない。いや、僕は今、笑いたい。当の親は、その日の騒ぎを知らずに熟睡。僕はやがて、施設入居に屈してしまうのだろうか。


一生懸命、育てたんだけどね 2023.1.7
 
 夕方、日はすっかり暮れていた。井の頭通歩道、左右の松葉杖を使い、両足を引きずるように歩いていたお婆さん。近くの家電量販店で買い物を終え、髪を切ってから帰るという。だが、今にも前のめりになって転びそうな歩き方。店までついていってあげることにした。
 100メートル歩くのに、30分ほどかかった。横断歩道の信号は青のままでは渡り切れず、車に待ってもらった。途中、いろいろ話した。一人暮らし、足は6年ほど前、自転車で事故にあって、不自由になったそうだ。介護保険は使っていないとのこと。地域包括支援センターに連絡し、一度は担当者やケアマネさんがやって来たが、そのままになっているという。行政も適当なもんだったりする。
 12月、入院しており、近いうち、再度入院することになっているらしい。家はエレベーターがなく、聞き間違えでなければ5階。先日は、ドアのノブを回せず、1時間ほど助けを呼び続け、なんとか部屋に入れたらしい。そもそも、松葉杖を使って階段を上がるのは無理がある。身障者の施設入居を勧められたことがあるらしいが、断ったとのこと。「強制」という言葉が聞き取れた。強制的に入所させられそうになったのか、あるいは、入所したら何かと強制されるのが嫌なのか。
 住所を教えてもらえれば、なんとかしてあげられるのだが、僕はただの通りすがり。着やすく住所を教えるわけにもいかないだろう。そう思い、おまわりさんを呼んで、間に入ってもらうことで安心してもらおうとも思ったが、おまわりさんを呼ぶのは断られた。大げさにしたくないのだろう。おそらく、余裕のある生活をしているわけではない。向かったのは千円カットの店。女性はあまり利用しない。
近所だったら、顔を合わすこともあるかもしれないが、僕の家からは数キロ離れている。子供も一応はいるらしいが、疎遠になっているという。その際、ポツリと一言。
「一生懸命、育てたんだけどね」
退院したら、必ずもう一度、地域包括支援センターに連絡を取ってねとお願いして、あとは千円カットのお店の人に任せて、僕はその場をあとにした。一生懸命、育てたんだけどね。その言葉が頭に残る。


年末、コロナでダウン 2023.1.2
 
 年末、コロナでダウン。寝込みながらの介護はさすがにしんどかった。深夜、ラジオをつけていた。紅白でさえ、音楽が奏でられるのって、いいなって思ったりした。その後、美輪明宏の語りの番組を聞いていた。弱った状態なせいか、やけに染み込んで来た。
 昔、ライブでトークをするのは苦手だった。おもしろい話ができなかったから。けど、今は、いくらでも話ができそうな気がする。